洗心講座と太田久紀先生

 2007年12月9日、足利・長林寺で開催の「洗心講座」の最終回に出席し、長林寺住職・白金昭文先生の「正法眼蔵随聞記」の講義を受けました。洗心講座は1977年6月から30年間に亘り8月を除いて月一回開催され、今回が325回ぐらいになるとのことでした。2007年の春に、白金先生は洗心講座を年内で終わりにすると仰っておられましたが、本当に終わってしまった今、心の中にぽっかり穴があいたようで、寂しい思いをしております。
 改めて昔の日記やノート、資料を見てみました。この洗心講座への私の初参加は16年前の1991年10月13日でした。49歳のときになります。大泉から足利の工場へ異動し、子会社の工場責任者だった頃です。長林寺の檀徒であるS君からの紹介でした。仏教には何となく興味があったのですが、仕事に追われている中で、何か日常と違う空間を求めていたような気がします。
 16年前のこの日の講義は、駒沢女子短期大学教授の太田久紀(きゅうき)先生によるもので、「法相二巻鈔」の終わりに近いところでした。私には何も理解できなかったと思いますが、長林寺の庫裡に30人近い方々が集まり、一時間半に亘って熱心に聴講される様は新鮮でした。
 第一回の洗心講座の案内を見せていただいたことがあります。白金昭文先生のお父様の白金脩文老師が住職五十年を記念して講座を開設したものです。その第一回から太田久紀先生に出講いただいております。
 太田久紀先生は1928年鳥取市生まれ、駒沢女子短期大学教授、駒沢大学仏教学部講師、薬師寺唯識学寮講師などを歴任され、仏教の中でも心のすがた、心のありようについての分野(唯識学)を深く究められた方です。
 この太田久紀先生に毎月一回足利へお越しいただいておりました。しかし、10年ほど前からは病気がちで、白金昭文先生と半々で講義を受け持たれるようになり、2000年頃からは足利へお越しいただく負担を考えて、年に二回ほど我々が東京や太田先生のお住まいの横浜へ出向いて太田先生の講義を聞くという移動教室が開催されておりました。それも2005年7月、東京仏教伝道センターでの講義が最終回となり、この2年後の昨年6月28日、太田久紀先生には79歳でお亡くなりになりました。このような経過があり、白金昭文先生は昨年末での洗心講座の終了を決められました。
 太田先生の講義の教本は、私が参加したときには「法相二巻鈔」で、その後「唯識大意」「大乗起信論」と続きました。いずれも理解にはほど遠く、講義を受けたときには良い話しが聞けた、心が洗われたと思っても、家に帰った頃にはすっかり忘れてしまっている状態でした。でも講義の途中に出てくる色々な話、例えば「薬師寺の高田好胤管長との交わり」、「遠藤周作の“深い河”の本の話」、「お釈迦様のこと」、「涅槃について」、「玄奘三蔵のこと」など、多くの話の一部は頭に残りました。
 「洗心講座」という言葉は、心を洗うというので、響きの良い言葉で気に入っています。私が入れていただいた次の年に新命住職としての白金昭文先生の晋山式が行なわれました。その後の洗心講座の例会で、太田先生は「長林寺・晋山式にちなんで」という話しをされておられます。このとき、第一回の洗心講座で「多聞洗心」という話しをされたそうです。「聞いた上で、心を洗う。聞かないより聞いた方が味わいあり。」とのこと。仏教の難しいことなど全く分からないまま、16年もの間、洗心講座に参加させていただいたのも、結果的には前述の多聞洗心の解釈に基づくものでした。太田先生は後日の講義の折に「聞きっぱなしでは駄目、多聞と洗心が実行されないと駄目」と仰っておられましたが。
 30年に亘って洗心講座に参加された方も何人かおられます。その一人がS君のお母上様です。毎回の洗心講座終了後、ご自宅へお送りしておりました。90歳近いご高齢にもかかわらず洗心講座に参加されるというのは、頭の下がる思いがします。S君のお母上及び私と同年齢のT・Tさん、O・Nさん、S・Tさんとは時折集まって一緒に食事をするなどの交わりもありました。残念なことにT・Tさんは3年前に亡くなり、友人の一人として私が弔辞を読みました。洗心講座を基にしたお付き合いです。
 現在、太田久紀先生が講義された「法相二巻鈔」のテープ起こしが進んでおります。60回分のテープがあるそうですが、数人で分担してテープ起こしをし、それを白金先生が本になるように纏めようというもので、私もテープ起こしに加わっております。先ごろ担当したところは、太田先生が本文の僅か3行のところを一時間半かけて講義しておられるところでした。改めて素晴らしい先生のお話を聞くことができたのだと実感しております。