恩師・新津靖先生

 2004年4月10日、サンシティ熊谷・ロイヤルケアにて、私が世話人となって「新津靖先生の100歳をお祝いする会」を開催しました。集まったのは主として大阪大学で新津先生の研究室に籍をおいた門下生の14名です。
 新津先生は明治38年(1905年)11月24日のお生まれで、数えですと2004年には既に100歳となっておられました。満年齢ですと2004年11月に99歳の白寿。2005年11月には満100歳ということになりますが、お祝いごとは早い方が良いだろうと、数えでのお祝いとさせていただきました。
 先生は車椅子で介護が必要な状況にはありますが、出席者一人一人が先生にお祝いを申し上げる際には、今何をしているかなどと質問をされ、自分は胃腸が丈夫なのでここまで長生きできたと話されました。出席者は皆、先生のご長寿にあやかりたいとの願いはあるものの、物理的に駄目だろうと考え、兎も角先生のご長寿に感心することしきりでした。
 新津靖先生は、信州の佐久のご出身、野沢中学から旅順工科大学卒業。同校の助教授、教授。戦後は大阪大学教授、環境工学専攻、工学博士。昭和44年(1969年)定年退官、大阪大学名誉教授。退官後は三洋電機の顧問などを長年務められました。大阪大学に在籍のときには学会誌に155編の論文を発表され、退官後は環境工学的人間論の分野でもユニークな講演を各地でされておられました。昭和53年には勲三等旭日中綬賞を受けておられます。
 私が新津先生に初めてお目にかかったのは、昭和38年9月、大阪大学大学院工学研究科修士課程の入学試験の面接のときでした。私は故郷の信州大学工学部の4年生で、その頃には旧帝大と東京工業大学以外には大学院はなく、大阪大学は外部に門戸を開放している数少ない大学と聞き、受験したものでした。そのときは大阪大学の先生方にどのような方がおられて、何を研究しておられるかも知らない状態でしたから、面接のときに、新津先生が「私は信州の生まれである。」と言われましたので、試験が済んでから何が専門の先生なのかを調べて知りました。
 奇跡に近い状態だったと思われますが、幸い合格することができ、次の年の4月から大阪大学へ通うことになりました。研究室の配属では、学部のときのテーマに合致する研究室は、内部から上がってくる人で定員がいっぱいでしたので、それに近い空気調和・環境工学の新津先生の研究室に希望を出し、研究室の一員となることができました。そして、それからの大学院の5年間、新津先生のご指導を受けることになった訳です。
 新津先生は敗戦後、ソ連軍によって軍港であった旅順から大連へ移動させられ、ソ連軍の職工や下級技師としてご苦労され、2年後に日本へ戻って来られました。大連での2年間(730日)の徒食が残念で、大阪大学に奉職されたあと、大学には1年に60日の休みがあったから、休みなく12年間完全連続出勤して、その空白を取り戻されたそうです。休みなく大学へ来ることを我々に強制された訳ではありませんが、大学院の5年間は私なりに頑張りました。体力との勝負だったような気がします。泊り込みで実験をし、あるいは最終電車で下宿へ帰るなどは通常のことでした。青春真っ盛りのときにこのような生活を送ったということは、今思えば懐かしくもあり、決して後悔するようなことではありません。人間一生のうちにそのようなことがあるのは幸せなことです。
 昭和44年3月、私は学位を取得し、民間会社へ就職することになりました。これも新津先生から「大学にそのまま残るのでなく、一度民間会社を経験し、その後大学へ戻って来た方が良い。」と言われて、当時の東京三洋電機(株)を紹介いただき、就職試験もないまま採用されました。数年して大学へ戻って来いという話が来ましたが、住めば都でそのまま定年まで民間会社にいることになってしまいましたが。
 新津先生は定年退官後、三洋電機の創始者・井植歳男に請われて三洋電機の顧問になられ、90歳ぐらいまで会社に関係されておられましたので、折に触れて先生の部屋に顔を出し、お会いしておりました。
 新津先生からは人生論もいろいろお聞きしました。特に印象に残っているのは、人生を支配する要素は、自然環境、家庭環境、遺伝、社会環境、寿命、選択の6つであり、選択を除く5つは運命であって、運命という大波の中から何を選ぶかが自分でできる唯一のこと。ツキを拾うか逃がすかが選択の重要なところで、チャンスを生かす選択は、知的好奇心を旺盛にして、凝り性で粘り、優れた想像力(先見性)、集中力と優れた勘のライフスタイルを持つこととのことでした。
 相田みつをの言葉に「そのときの出逢いが 人生を根底から変えることがある よき出逢いを」というのがあります。私が今までの60数年の人生の中で、たくさんの人に交わり影響を受けましたが、やはりその筆頭は新津靖先生との出逢いだったと思います。