ジャコウアゲハ定住作戦(続き) |
平成15年も前年に引き続きジャコウアゲハ定住作戦は継続されました。そしていろいろなドラマがありました。
足利工業大学・都市環境工学科に澤畑浩教授とおっしゃる、環境保全計画を専門にしている先生がおられます。大学内のある会合でお話をする機会がありましたので、ジャコウアゲハ定住作戦のことを話しましたら、非常に興味を持たれて、卒業研究の学生のテーマに取り上げたいので協力して欲しいということになりました。食草のウマノスズクサが近くにあるわけでもありませんので、我々がやっている生息地での観察から始めようと、学生さん2人に6月から週に2回、「こぶ観音」の生息地へ来てジャコウアゲハの生態を観察してもらいました。 研究テーマは「ジャコウアゲハの生息環境復元・創出に関する基礎的研究」で、主なテーマとして、ジャコウアゲハの生態の把握と食草のウマノスズクサの増殖法の検討を上げ、公共空間においてジャコウアゲハの生息環境を復元・創出することを目的としています。 こぶ観音の生息地では、5/8には3頭のジャコウアゲハが飛んでいたと住職からの連絡を受けました。その後、5/13に確認に行きましたところ、このときには既に卵を見つけることができました。学生さんはこぶ観音の生息地を区切って、各区域内に卵や幼虫、蛹の数や、いつ成虫が羽化したかなどの調査をしてもらいました。また研究室でジャコウアゲハを飼育し、幼虫がどれだけの量のウマノスズクサを食べて蛹になるかを調べました。 大学内でジャコウアゲハを飼育するには、大量のウマノスズクサが必要になりますので、知人のMさんに新たなウマノスズクサの自生地を教えてもらいました。6/5に渡良瀬川の土手のあるウマノスズクサ自生地を案内いただいたとき、数十頭のホソオチョウが乱舞する光景を初めて見ました。このホソオチョウは本来日本には生息していなかったのに、人為的に韓国から持ち込まれたもので、1970年ごろから東京近郊で発生が確認されていたそうです。私の持っている1976年の図鑑にはなく、1982年の原色日本蝶類生態図鑑には載っています。韓国からの蝶がこの足利の地でも大発生しているわけです。 ホソオチョウはジャコウアゲハと同じウマノスズクサを食草としており、ジャコウアゲハより少し早く発生しますので、ウマノスズクサを食べ尽くすと、ジャコウアゲハの繁殖に影響を与えますし、日本固有でない人為的に移されたホソチョウが増えていくのは、環境保全の上からも問題があると思われます。我々の生息地にはホソオチョウが入り込まないように細心の注意を払う必要があります。知人のKさんはホソオチョウの飛翔能力をマーキングしながら調査されたそうですが、飛翔能力は極めて低く、渡良瀬川から10キロ近く離れたこぶ観音の生息地にホソオチョウが飛んでくるとは考えられないそうです。それなのに一昨年は一度も見なかったホソオチョウを昨年7月に学生が見たという報告があり、私も7/20にこぶ観音の近くで舞っているホソオチョウ1頭を確認しました。 ジャコウアゲハは大食漢で、個体が増えると食草のウマノスズクサは葉だけでなく茎まで食べつくし、地上部が一切見えなくなるほどです。飛翔個体数を安定させ、観察しやすいようにするには間引きが必要と思い、学生さんの協力を得て、こぶ観音の生息地では6/15と7/22に2回の間引きをしました。7/22には50個の蛹を残し、卵379個と幼虫503頭を間引きました。葉の一枚一枚をチェックし数を数えましたが、4人で3時間近くかかり大変なことでした。 大泉町の我が家の畑にウマノスズクサを移植して1年半が経過しましたが、この間ジャコウアゲハの飛来も幼虫を見つけることもありませんでしたので、6/15に間引いた中から約20頭の幼虫を移しました。それが蛹になり、羽化して次の代には大発生して、ウマノスズクサは全て食べ尽くされ、蛹となって冬を越したのは僅かとなりました。 学生さんの研究によりますと、ジャコウアゲハが孵化して蛹になるまでに幼虫の食べるウマノスズクサの量は10〜15グラムだそうです。ウマノスズクサを増やす方法も研究されています。これらを基に新しいジャコウアゲハの生息地を復元、創出をしたいと考えており、夢を持って楽しくやりたいものです |