ジャコウアゲハ定住作戦 |
そこへ行けば「蝶がいつでも飛んでいる」という環境を自然の中に作りたいと思いました。いつでもというのは難しいとしても、春から秋までの数ヶ月間は。
私は小中学校時代には蝶採集に、故郷の信州の野山を駆け回っておりました。そのことが忘れられず、前々から何か蝶のことに取り組みたいと思っておりましたので、もうじき還暦となって時間ができるであろう一昨年の秋に、「ジャコウアゲハ定住作戦」を実行に移すことにしました。 ジャコウアゲハという蝶をご存知でしょうか。ジャコウアゲハは大型のアゲハチョウで、羽を広げると体長およそ10センチ、オスは羽全体が黒く、メスは黄灰白色。後ろ羽にオレンジの斑点があります。ヒラヒラと緩慢に樹間や路傍の花上を舞うのが特徴です。 このジャコウアゲハの幼虫はウマノスズクサという蔓草しか食べません。ウマノスズクサは川の土手や藪の傍などに生えますが、最近は減って、埼玉県ではレットデータブックに載る植物になってしまったそうです。ウマノスズクサの減少とともに、ジャコウアゲハも次第に数が減ってしまいました。近くでは渡良瀬川の土手の特定の場所で見ることができます。 ジャコウアゲハ定住作戦のことを、座禅会やボランティアでお世話になっているこぶ観音・明言寺の石本住職に話しましたところ、「夢のある話」だと好意的に受け止めていただき、境内の一部をお借りできることになりました。もちろん一人ではできませんので、何人かの仲間を集め、「ジャコウアゲハ定住作戦委員会」を発足させました。会長には言い出しっぺの私が就任することになりました。 一昨年の十月にお借りした境内の芝生の一部、8畳ぐらいを剥ぎ取って耕し、そこに教えていただいた渡良瀬川のある特定の場所などか100株強のウマノスズクサを移植しました。ウマノスズクサは蔓草なので、会員の農家の方にイチゴハウスの廃材などで恒久的な立派な支柱を作ってもらいました。ウマノスズクサは宿根草で、地上部は11月には枯れてしまいましたが、次の年の4月には芽を出し、6月の終わりから7月になると、50センチぐらいに伸びてきました。 そこで、蝶の生態に詳しい会員にお願いして、7月11日に、渡良瀬川の土手から幼齢の幼虫を20匹ぐらい移してもらいました。10日後に見に行きましたところ、1匹のメスの成虫が舞っていました。そして卵も見つけることができました。わずか10日で1〜2齢の幼虫が蛹となり羽化して卵を産むとは考えられませんから、この成虫は土着のものだと思われます。 その後いくつかの蛹が羽化し、新たに卵から孵った20匹ぐらいの幼虫を見ることができました。ジャコウアゲハは先にオスが羽化し、遅れて羽化するメスを待ってオスは近くをヒラヒラ舞っており、メスが羽化すると直ぐ交尾します。この交尾したメスはまた卵を産むわけです。8月20日には10匹ぐらいがこの育成地を舞っていました。 9月に入るとウマノスズクサの葉上には多くの幼虫が見られ、ざっと勘定して200匹はいたと思います。幼虫が増え過ぎたので、食草が足りなくなるのではと心配しておりましたところ、9月19日には葉だけでなく茎まで食べ尽くされ、蛹になれなかった幼虫がその後放浪の旅に出て、餓死することになってしまいました。蛹になったのは僅か10匹ぐらいです。可哀想なことになりましたが、自然界にはウマノスズクサが畑のように密集しているところはないわけで、止むを得ないことと思います。 羽のある蝶を網で囲うことなく、同じ場所に留めておくためには、蜜源植物も必要だろうと、長いこと咲いている百日草や黄花コスモスを植えておきましたが、ジャコウアゲハは境内や近くの人家の庭の花を訪れていたようです。 1年目としては成功と思います。多くの人が関心を持ってくれましたし、我々も楽しみました。近くの尾島町に「街に蝶を飛ばす会」というのができて、発足会に話を頼まれましたので、ジャコウアゲハ定住作戦委員会のことを話してきました。 2年目の今年は近くの小学校の理科の先生に話をして、子供さんに観察してもらうとか、この規模で餓死しない幼虫の数はどのぐらいかとか、蜜源植物としてどうようなものが良いのかなど、楽しみながら探求して行きたいと思います。 |