半農半×

「半農半X」という生き方があります。歌手の加藤登紀子さんの次女、Yaeさんは「半農半歌手として知られています。月の半分は千葉県南房総の山中で、夫と畑仕事をしながら全国を回って大好きな歌をうたい続けています。「半農半NPO」、「半農半デザイナー」、「半農半翻訳家」などという人達もいるようです。
 2008年9月6日の朝日新聞の記事(若者帰農、農ある暮らしを元に生きる)によると、「半農半X」は半農半X研究所代表の塩見直紀氏が提唱している生き方で、塩見氏は、「持続可能な農ある小さな暮らしをベースに、自分の得意なことや大好きな仕事をして社会に生かしてゆくこと」と定義しています。 初めて「半農半X」という言葉を知ったとき、この「半農半X」には非常に興味を持ちました。何年も前から私も「半農半X」を実践していることになるのではないかと。
 専業農家、兼業農家、菜園農家、一坪農家、ベランダ農家、プランター農家など、100%農家から30%、5%、1%農家までありうるわけですが、いずれにせよ、農に関わり汗を流す自給自足的生活を入口としているのが「半農」のようです。
 一方の「半X」は自分の天職を遂行して社会に役立てること。自分の独自性を活かし、オンリーワンの仕事をすることで、自分を社会に役立てる生き方のようです。定年退職後に田舎暮らしを楽しむ元企業戦士の「半農半年金」などという人とは、意図しているものが全く違うとありました。
 私も元企業戦士の一人であったと思いますが、40年近く畑仕事を続け、今は100坪を越える畑を耕し、一方の「半X」の方は、民間会社を定年退職した後も大学で教え、企業からの委託を受けて研究を続けることで、社会に少しはお役に立っていると思われますので、十分「半農半X」の範疇に入ると自負します。
 瀧井宏臣著「農のある人生」(中公新書)によると、1980年代に国民皆農を提唱した中田正一さんは、日本を含めた現代の西欧文明は遠からず破局を迎え、農耕文明が再び登場し、農的生活が全ての人々のライフスタイルとして定着する、国民皆農時代(あるいは市民皆農時代)とでもいうべき時代が来るとあります。
 そうなるかどうかは別として、39%まで落ちた日本の食糧自給率、野菜の残留農薬量、事故米不正転用問題など、食の安全と安心が揺らいでいることは確かです。日本の農業をどうするかなど、高度なことを議論するつもりは全くありませんし、そんな力もありません。今までの農に携わった経験からいうと、前述の「農のある暮らし」にもありますように、農業は人間が生きていくための最も根源的な営みであり、脳と体をフル回転させる高度な仕事と思われます。農のある人生が予想以上に楽しく、充実した生き方であると考えています。
 11年続けたカンボジアへの教育支援活動は、会単独で3校目の小学校をカンボジアへ贈り、昨年2月に現地での贈呈式に参加したのを区切りとして、私はこのボランティアの会員を辞めました。また、大学の卒業研究の学生の面倒を見るのも、牛山泉教授の学長就任に伴い、牛山研究室が縮小されたのを機会に、直接の指導を止めることにしました。この二つのことを止めることで、時間的にも気分的にも余裕ができました。
 そこで余裕のできた分を、まず思うようにはかどらなかった「半農」に力を入れるようにしました。それでも所用があったり、土曜、日曜の天気が悪かったりすると、農は思うようにははかどりません。順次畑の草取りをして、一巡すれば初めのところには草が生えてきます。そのような繰り返しです。
 100坪を超える畑を耕すと前述しましたが、菊や山野草などの草花、果樹や庭木のスペースを含めると、管理しているスペースは200坪を優に超えています。若いときに比べて体力的に厳しくなっているのを実感しますが、それでも年なりに何か違うやり方があるのではないかと、いつも思っています。
 大学で教えたり研究したりするのが続けられるとしたら、あと3年です。3年後に70歳となって大学を離れたとき、「半X」をどうするかも大きなテーマです。新しいボランティア活動などにも挑戦したいところですが、それが何であるのか。また新しいことをするには大きなエネルギーを必要とします。当面は現状の「半農」と「半X」を推進し、そして大学を離れたときの「半X」をどうするかに、想いを廻らせるこの頃です。