日々大学生に接して |
朝日新聞の天声人語に、次のようなことが書かれていました。小学校の担任の先生が成績表にこんなことを書いてきたとすれば、親はどんな気持ちだろうか。「遅刻の常習犯です。とにかくいろいろな物をなくします。だらしなさは完璧です。わたしにはどうしたらいいのかわかりません。」
これは20世紀を代表する政治家の一人で、英国の首相だったチャーチルが9歳のときのことです。成績はクラス最下位でした。 この話を大学の講義の中で、眠気覚ましにと思い、取り上げました。本人の努力次第では子供のときと違う道が開けるもので、「人生はどう転ぶかわからない」というようなことを言いたかったのです。ところがチャーチルと言っても、全く反応がありません。私はこの偉大な政治家を知っていることを前提に話をしていたわけです。おかしいと思い、「チャーチルを知っている人」手を上げてくれと言ったら、挙手する人が誰もいないのです。知っている人がいたかも知れませんが、皆が手を上げないので上げにくい雰囲気だったのでしょう。いずれにしても、今の大部分の大学生はチャーチルを知らないのです。 若い人に接していると、ここに年代の差というか、生きている時代の差が出てきて、アレと思うことがときどきあります。私は地元の工業大学で非常勤講師として大学院生と学部生を教えるとともに、総合研究センターの客員研究員として卒業研究の学生の指導をし、日々学生に接しております。 本年度の私の講義「伝熱工学」には選択科目にもかかわらず、147名のエントリーがありました。この人数では、大教室でマイクを使わねばなりません。私語が当たり前のことでは授業は成り立ちません。出席をとっていたのでは、時間が足りません。そこで出席はとらないことを伝え、全員が全出席したことにして、試験の成績だけで単位の取得を決めると宣言しました。私語をしていたり、寝ていたりする学生は、出席をとらないのだから、教室から出て行ってくれと、退室を促しました。 ところが真面目に出席する学生が多いのです。出席をとって出席点をつけて欲しいと言って来る学生もいます。出席をとらないと不安なのでしょう。出席すれば、講義を真剣に聞こうが聞くまいが、出席している限りにおいて安心だという心理です。当方も期末試験だけでの判断では申し訳ないと、負担になりますが今年は中間試験をすることにしました。大部分の学生が受験し、成績は百点から零点まできれいに分布しました。出席しているのに零点やそれに近い学生がたくさんいるというのは、「大学生はなぜ勉強しなければならないのか」という根源的なことが理解できていないのでしょう。 卒業研究の指導をしていて気になるのは、卒研生が受身で指示待ちが多いことです。自分で計画を立ててやって行こうという学生はほとんどありません。就職戦線が厳しくて、就職がなかなか決まらないということもありますが、なかなか卒業研究に入れません。先生が全て準備をしてくれると思っているのでしょうか。 偏差値によって大学が完璧に序列化されているように、就職も大学によって入社できる企業が決まって行くのが現状です。日本を代表する企業には、偏差値の低い大学からは受けに行きません。在学中に学生も自分たちが就職できる企業を理解し、順応して行くわけです。したがって中にはフリーターの道を選ばざるを得ない学生も出てきます。 18歳人口の減少によって、2009年から「大学全入時代」(志願者数が入学定員と同じ)が到来すると見込まれています。浪人して希望の大学へ挑戦する若者もいるわけで、今既に志望校にこだわらなければ、誰でも大学へ入れる時代が到来しています。しかし、中学の課程を理解する者5割、高校の課程を理解する者3割といわれる中での大学進学です。大学へ入って何が起こるかは自明のことです。 高学歴化は決して悪いことではありませんが、入っても勉強しない、あるいは理解できない学生が少なからず存在するというのは国の損失です。高学歴化で損なわれた職業教育の構築や、フリーターになっても再挑戦できる社会への転換が、これからますます必要になると思われます。 |