カンボジアに2校目の小学校を贈る |
私が運営委員として参加している「ボランティアこぶの会」では、会単独で2校目となるカンボジアへの小学校建設の資金援助を行うことになり、社団法人シャンティ国際ボランティア会(SVA)に現地での事業遂行をお願いしました。
建設場所はコンポントム州プラサット・バラン郡ソー・チュル村。コンポントム州は首都プノンペンから州都まで168キロ、カンボジアの中心に位置し、半分はトンレサップ湖や森林部の自然に恵まれた豊かな州です。ソー・チュル村はコンポントム州都から約45キロ北西に位置し、人口は1199人の村です。隣の742人のアントン・チョー村も通学範囲となり、6〜14才の学齢児童は合計で541名になります。 この地域は1997年頃までクメール・ルージュ派と政府軍の戦闘地域であって、道や橋や公共施設はことごとく破壊され、地域住民は恐怖におののきながらの生活で、約20年間は安定した教育を受けられない状態が続き、中高年のほとんどは読み書きができない状態です。 このような状況下でも地域住民の教育意識は高く、1984年には木の骨組みに砂糖椰子の葉を葺いて臨時の学校を造り、読み書きのできる人を教師に選んで子供たちの教育をしておりました。これが2000年には公立小学校として認可され、教員も派遣されるようになりました。校舎は3教室で、午前、午後の二部制、児童数247名で、4年までしか設置されておらず、5、6年は隣の小学校へ行くことになりますが、自転車が買えないと通学できず、大部分は4年で小学校を終えている状態のようです。校舎は前述のように極めて粗末な砂糖椰子の葉葺きで、激しい風雨のときには授業を中断せざるを得ず、隣の教室の声は筒抜け状態でした。 2004年に政府資金で道路や橋の修復が開始されるまでは、学校建設のニーズがあっても入ることのできない地域でした。このソー・チュル村に我々の資金で、鉄筋コンクリート煉瓦積み瓦葺平屋校舎1棟3教室を建設することになり、2004年12月28日着工、土盛り作業などの地域住民の協力を得て、2005年4月25日に校舎とトイレ、井戸の設置が完了し、即使用されておりました。今回現地で聞いた話しでは、建設資材を運ぶ車が入るまで子供たちは四輪の車を見たことがなく、コンクリートの建物は村で初めてとのことで、そのぐらい隔絶された地域のようでした。 2005年12月7日、ボランティアこぶの会のメンバー6名は、ソー・チュル小学校での贈呈式に参加するため、SVAの方々と一緒に現地を訪れました。国道から分岐してソー・チュル小学校までの20キロほどの道は、凸凹の悪路。四輪駆動の車はガタガタに揺れ、時速10キロの速度さえ出せない状態が続き、雨季だったら車は多分ぬかるみで動けないと思われました。 9時30分ごろ、車3台でソー・チュル小学校へ到着。全校の児童と村人が道の両側に並んでの大歓迎。こんなに喜んでいただいているのかと、思わず私は涙が出てくる状態となりました。州の副知事さんの到着を待って、贈呈式は始まり、カンボジア人僧侶による読経、日本人参列者による般若心経、カンボジア国旗の掲揚と国歌斉唱、郡代表・SVA・ボランテイアこぶの会・州政府代表の挨拶、メダル・感謝状の授与、児童への文房具の贈呈、読み聞かせ披露、リコーダー披露、テープカット、記念帳署名、引渡し書署名、写真撮影、記念植樹とセレモニーは続きました。副知事さんの挨拶が50分ほど続いたのには閉口しましたが、あとは厳かの中にも皆さんが喜んでいることを実感しました。 セレモニーのあと、交流活動として日本から持って行った折り紙でコップを作りました。低学年の児童も多く、簡単にできるだろうとコップにしましたが、それでも言葉が通じないので結構大変でした。子供たちは、古い校舎と違い大きくて広いし、座り易い椅子もある、先生の説明も良く聞ける、雨や大風のときも使える、井戸があって水が飲める、トイレも使える、一生懸命勉強しますとのことでした。 女性のサムーン先生は、遠くから赴任してきましたがこの地が気に入り、ご主人とともに移住することにしたとのことで、非常に熱心な先生の涙ながらにお礼の言葉を話すのを見たときには、学校を贈って本当に良かったと思いました。電気が来ていないような村ですが、これからのカンボジアを支える教育の原点にはこのような先生が必要です。 同行したSVAの内藤広亮所長によると、現在カンボジア全体で350校、17,000教室が不足し、小学校1年に1,000名入学しても、順調に高校を卒業できるのは6名とのこと。日本の一人当たりの国民所得34,510USドルに対し、カンボジアは百分の一以下の310USドルとのことですから、できることはして上げたいと再認識しました。 前回2001年のカンボジア訪問時には、まだ会社在職中であった私は、退職後の生き方を模索して内藤所長といろいろ話をさせていただきました。そのときのことを覚えていただいていて、ときおり私がどうしているのかと思っていたそうです。内藤広亮所長は外資系商社を定年退職し、修業して僧侶の資格を取り、ボランティアとしてSVAのカンボジアの事務所を手伝い、その後1999年からSVAの職員としてカンボジアに駐在しておられた方です。お年をお聞きしたら72歳とのこと。2006年の初めに退職されるとのことでした。 帰国後お世話になったお礼のメールを入れておきましたところ返信があり、「2005年の初めより、カンボジアでの滞在はもうこの同じ日をカンボジアで迎えることはないと心に決めていましたので、最後の月に先生とお会いできお話ができたことは、悔いが残らず幸運であったと感謝しています。次回先生がこぶの会に参加してカンボジアを訪問されるとき、可能であれば私も参加させていただきたく思います。」とありました。ボランテイアを通しての素晴らしい人との出会いです。 |