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「風と光の広場」 |
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日時計と水時計 |
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飛鳥の水時計
「日本書紀」によると斉明6年(660年)5月「皇太子が初めて漏剋(ろこく)を造り、人々に時刻を知らせた」とあります。ここでいう皇太子とは中大兄皇子(なかのおおえのおおじ)すなわち、後の天智天皇のことで、漏剋とは水時計のことであります。昭和5 6年12月、奈良県明日香村にある飛鳥の集落で、中大兄皇子によって創設された水時計の施設の基壇が発掘されました。その時に発掘された銅管.木桶や漆(うるし)塗り木箱の痕跡(こんせき)や、古代の中国にいる漏剋(ろこく)の出土品の類推から作られた「飛鳥の水時計」の模型が、いま国立飛鳥資料館にあります。 国立飛鳥資料館の水時計復元模型 |