理系、文系


 自分は理系の人間だろうか、それとも文系の人間だろうかと思うことがある。周りの人からは、工学博士の学位をもち、長いことエンジニアをやった人間だから、当然理系の人だと思われているものと思う。しかし、何をやるにしても大まかで雑だから、家内からは詳細なデータを取るための実験をやっていた理系の人とは思えないと言われているし、エッセイ集や短歌集を上梓し、そちらの方にも興味があるのだから、ひょっとしたら文系の人間なのかも知れない。理系、文系の両方をこなせるとしたら、格好良い話だが、本当のところは理系、文系のどちらにも属さない中途半端な人間というのが正解であろうか。
 理系、文系を意識したのはもう50年も前のこと。大学のどの学部を志望するかで、高校の理科や社会の選択科目が違い、それを自分の意志で選んだときが初めであろうか。英語と数学で数学の方が成績良かったとか、将来の就職を考えて工学部が良さそうだとか、その程度のことで物理を選択して進学した。しかし、大学は僅か4年のこと、教養課程もあるから理系の専門課程を学んだのはこれより少ない期間で、社会へ出てからの方が余程長く、修正は利いたはずである。それなのにエンジニアとして、あるいはその延長線上のマネージメントを担当して定年まで過ごし、定年後も大学で理系の専門科目を教え、いまだに理系の研究に従事している。
 理系の出身者は報われないと言うのを読んだことがある。ある国立大学の理系学部と文系学部の15,000人の大学卒業生を対象にした調査で、生涯所得の差が最大で5千万円文系出身者の方が多く、理系出身者は報われないと言う内容であった。今このことを知ったからと言っても間に合わないが、やはりそうだったのかと思う。理系の人の就職はメーカーが多く、文系の人には金融機関などもあり、その賃金体系の違いと、文系の人の方が昇進し易いようで、経営者には文系の人が多く、理系の能力を生かせないことが根底にあるようである。
 さらに、企業トップに理系の出身者が少ないこと以上に、わが国の政界や官界のトップには理系出身者が少な過ぎると思われる。わが国では、文系の人が国を動かしていると言っても過言ではない。一方、最近特に日本との関係がぎくしゃくしている中国では、中国共産党執行部は全員が理系とのこと。胡錦濤国家主席は清華大の水利工学、温家宝首相は北京地質学院で地質学が専攻。文化大革命のとき、経済や政治などの理論を学んだエリートは糾弾されて潰されたことと、政治から一歩離れたところで国家建設のためにエンジニアとして黙々と働いた理系タイプの人が気に入れられたからだそうであるが、資源が少なく、科学技術立国を目指す日本では、本当に文系の人だけで舵取りをしていても大丈夫だろうか
 大学内でときどきお話している会社の大先輩がおられる。この方は理学博士の学位をお持ちで、長年一部上場企業の取締役を務められた方で、喜寿のお年でありながら、今でもコンピュータのプログラム言語の講義をされる。この方の持論にパラレルキャリアというのがあって、その専門分野で一流であるだけでなく、もう一つの違う分野をパラレルにキャリアを積んでいくことが望ましいとのこと。「二足の草鞋を履く」と言うより「プラスアルファを持つ」と言えば聞こえが良い。このお年でコンピュータのプログラム言語となれば、理系そのものの方であるが、ご自身は若い人に交じって今でもヴァイオリンを演奏される。理系の人であっても、理系以外の分野で光っておられる。
 自分のことを考えたとき、理系のほうは今までの延長線上にあって、これをどうするかは兎も角として、もう一つの分野についてはあれもこれもと的を絞れない状態である。一流になるのは難しいとしても、もう一つの分野でも何か残せるようなことをして、パラレルキャリアをつき進めたいものである